2026.9.8
移住体験種子島・南種子町に親子留学したまさみさんの1年
人生を変える、価値観が変わる、そんな移住体験の1つとして、今回は島嶼部への移住体験談をお届けします。毎年町全体で年間50人の規模で小中学生を受け入れている、種子島に暮らしたファミリーのお話です。
鹿児島県の南種子町、日本最大のロケット発射場があるこの町の「宇宙留学」は31年の歴史をもつ離島留学制度で、これまで600人以上の子どもたちがこの「宇宙留学」を経験しているのだそう。横浜市にお住まいのまさみさん(40代)は当時小学4年生と1年生だった娘たちと母子3人で、2024年度の1年間「宇宙留学」の制度を使って南種子町に暮らしました。まさみさんの仕事はリモートワークを続けながら、しかし夫のきょうへいさん(40代)は単身横浜に残り…。
ワクワクの準備から、島を離れる頃のメソメソ、そして横浜に戻ってから…。まさみさんファミリーの体験と心の変化を語っていただきました。
――種子島に行く前、子育てで大事にしていたことはありましたか?
夫婦の方針と言うよりほぼ私の独断なのですが(笑)、子どもが小さいうちは自然の中で過ごすのが一番良いんじゃないかと思っていました。子育てに正解なんてないと思いますが、「自然の中にいること」だけは合ってるんじゃないか。そう考えたこともあって長女は一年中、猛暑でも雨でも雪でも外で遊ぶいわゆる「森のようちえん」に通わせました。
田んぼの活動に参加したり、雪山に行ったり…できるだけたくさんの時間を「自然体験に費やさなければ!」と思って、がんばっていた覚えがあります。ただ横浜にいると、海や山に行くにもバスと電車を乗り継いで時間もかかり、連れ出すのは親の方も大変でした。夏休みの自然キャンプなどにも参加させていましたが、そこそこ高額ですし。「もっと楽に、自然の中で過ごすにはどうしたらいいかなあ」と常に思っていました。
私自身、初めて出産してから10年くらい、子育ても仕事も家事も忙しいし、時間がない生活をしてたなぁ、ぼーっとする時間なんかなかったなぁみたいな。そして「自然」を頑張ろうとするとより忙しく…(笑)
――福島県のご出身ということですが「自然の中で育てたい」という考えは、ご自身が地方で育った環境からきているんですか?
子どもの頃は海も遠かったし、とくにそれほど自然が好きなわけではなかったですね。福島の中でも割と市街地に住んでいましたし。
私は、元アナウンサーでアロマセラピストの大橋マキさんのマネージャーをしているんですが、まだ出産する前のある時、大橋さんの仕事で子育て雑誌の対談があって。その連載でC.W.ニコルさんや脳研究者の池谷裕二さんら皆さんが口を揃えて、「とにかく自然の中に放っておけば子どもは大丈夫!」とおっしゃっていたんですね。その時の大橋さんや彼らのお話に影響を受けていると思います。
たとえば池谷さんは、「東大の人は小さいころから東京で特別な教育を受けてきた人が多い。でも、伸びる人と伸びない人がいることに気づいた。伸びる人は、小さいころ自然の中で遊んでいた人が多い」(*)ということをおっしゃっていて「へー」と思って。
*『月刊クーヨン』2013年5月号
大橋さんは葉山に住んでいるのですが、やはり自然の中で子育てしていて。自身で植物を育てたり、さらに派生してNPOで園芸療法に携わっていたり。
「森のようちえん」の先生たちからも、自然の中で手触りやにおいを感じて、五感を大事にすることで子どもの身体も脳も健全に成長していく、というような話を聞いたりして、やはりそうだよな、と。

――どうして4年生と1年生のタイミングだったのでしょうか?
次女がまだ赤ちゃんの頃に「宇宙留学」を知って、「これは良い!」と思いました。行くなら小さいうちだなと思っていたのですが、下の子が小さすぎても本人が楽しめないだろうと思い、小学4年生と1年生がベストタイミングだと、心の中で決めました。そこから情報を集めたり、準備をしていました。子どもたちにも、島に行く3年前くらいから「島に必ず行く」前提で話をしていました。「4年生と1年生の1年間は島で暮らそうね」「どこか別のところで暮らすなら山が良い?海が良い?」「海がいいなー!行く行くー!」みたいな感じで、戦略的に(笑)。
その甲斐あって、娘たちも当たり前のようにいつの日か種子島に行くと思っていて、下の子は、よくわからないけど楽しそうだな、くらい、上の子は「私は何年かしたら転校するんだ!ワクワク!」みたいに思っていたようです。ただ宇宙留学は倍率も高いと聞いていたので、応募しても実際に行けるかどうかがわからなかったこともあり、「まだ決まってないから学校の友だちには言っちゃだめだよ」と話していたのですが、子どもたちはそれをずっとちゃんと守って内緒にしていたので偉かったと思います(笑)
――種子島以外の他の島も検討されたそうですね。
留学する前年の9月に、留学制度がある壱岐島、奄美大島、種子島の3島を巡りました。南種子町は、ちょうど私たちが留学する年に、宇宙留学生用の住居を新築してくれていたのがすごくラッキーでした。家電も付いており、Wi-Fiも完備で最高でした。留学制度の歴史も古く、留学生の受け入れ態勢が整っている印象もあり、一番先に申し込みをして、一番先に決定をいただけたので南種子町に決めました。
あと、移住の前の年の9月に下見に行った際、種子島に着いたら、空港からの送迎の方に「ロケットを見に来たんですか?」と聞かれて。「え!?ロケットの打ち上げがあるんですか?」「明日の朝ですよ!」と教えていただいて、何も知らずに行ったのになんと翌朝ロケットの打ち上げを見ることができてしまったんです。それを種子島の地元の人に話したら、みんなに「呼ばれてるね!来年はきっとここに住むね!」と言われ、ご縁があるなあと思いました。

――新築の住居というのもラッキーですね。実際に暮らしてみて、住まいはいかがでしたか?
きれいで新しくて、最高でした。留学生がまとまって生活しているので、長屋のようで。常に子どもたちはどこかの家で集まって遊べるし、親たちも立ち話したり、ご飯のおかずを持ち寄って、約束してないのに急にみんなで一緒に夜ご飯を食べたり、夕方に家の外でお酒を飲んだり、大きな共同生活みたいでとにかく楽しかったです。
気密性が高い建物だったので、大きな台風が来た時も、停電は4日くらいしましたが、風や雨の音もそこまで怖くなかったし、水道は止まらなかったので、隣の家の友だちと外でご飯を食べたりして過ごして、それはそれで思い出です。
――通った小学校は当時、児童13人に先生が8人だったとか。
少人数なので指導が手厚く、いつも細やかにコミュニケーションを取ってくれて、贅沢でした。放課後は学童があったのですが、地元の方で本当にいい方が運営してくださっていて、放課後におばあちゃん家に寄っているみたいな感じで16時までほぼ毎日学童に行っていました。
親も、鯉のぼり立てや運動会準備、プール清掃、地域では草払いや空き瓶回収、お祭りの伝統芸能の練習など、人数が少ない分、なんでもみんなで活動するので、しょっちゅう集まって、おしゃべりしながら手を動かして楽しかったです。

――子育てに対する考え方が変わったそうですね。
都会にいると情報が多いですよね。自然体験もした方がいいし、勉強もした方がいいし、学校はあそこがいいとか、習い事もやった方がいい、音楽もやった方がいい…いろいろな情報がいっぱいあるし、ついヨソとウチを比べてしまう。だけど島に行ったら誰もそんなことには注力していないというか、近くの学校に行って、元気に友だちと遊んで、海で過ごして。そういうのを目の当たりにした時に、なんかそんないろいろやらなくていいね、みたいな感じで肩の力が抜けたんです。自分が大事だと思っていたことすら、別に頑張らなくていいか、って思うようになりました(笑)
都会にいようが十数人の学校にいようが、子どもたちは何ら変わらない。楽しいときは楽しいし、喧嘩するときは喧嘩するし。そのまんまでいいな、どこにいても子どもたちが思うこととか、やることが楽しければなんでもいいんじゃないかと思います。

――大人たちのつきあいはどうでしたか?
種子島はサーフィンのメッカなので、サーフィンをやっている大人の方が多くて、海なんて子どもより大人のほうが楽しんでいると思うくらいでした。同世代の女性たちがみんな真っ黒に日焼けしてサーフィンをやっていて、腹筋が割れていてかっこいいんですよ!「そっか、大人ってこんなに楽しんでいいんだな」ということが新たな発見でした。
私もサーフィンに挑戦しましたし、ウクレレのサークルにも入って、友だちがいっぱいできました。島のみなさんのやさしさとか、小さな町ならではの人と人との距離の近さが私はとても楽しくて心地よかったです。海やスーパー、温泉、ご飯を食べに行っても、どこにでも友だちがいておしゃべりをして、ずーっとゆるゆると穏やかに生活させていただきました。
――サーフィン、始めちゃったんですね。
もともとサーフィンをやってる人はかっこいい!と思っていて、いつかやりたいと思っていたんですが今までそんな機会はなく。留学前に調べていたら種子島は波が良くて有名なサーフスポットだと知って楽しみにしていました。子どもの集まりのバーベキューで出会った方たちに「サーフィンやりたいんです」って言ったら、あそこのサーフショップにまずは行ったらいいよと。「そこに行けば、始め方を教えてもらえるよ」と教えていただきました。20年以上も前に南種子にサーフィン移住してこられたレジェンド的な御夫婦がやっているサーフショップ&素敵なカフェなんですけど。
最初はレッスンをうけて、5回ぐらい習ってやっと一人で立てるようになりました。そこからは小学校のサーフィン大好きなママ友が行く時に声をかけてもらって一緒に連れて行ってもらって。そのうち一人でも行くようにもなりました。一人と言っても、海に行くと誰かしら顔見知りの方がサーフィンしているんです。ド素人なので完全に一人では危ないので安全は考えて。天気や波の様子によりますが、行けるときは週に1、2回行っていました。

――サーフボードは買ったんですか?
はじめはサーフショップでお借りしていました。欲しいなぁ、でも持って帰れないしなぁ、買いたいなぁ、と悩みに悩んで遅くなってしまって9月になってから買いました。その踏ん切りの悪さ(笑)。でも、うちからいつもの海までは車で10分くらい。種子島は5月から10月まで水着で入れるんですよ。だからTシャツ、短パンでプイっと行って、帰りはちゃちゃっとタオル巻いて帰ってくる。気軽に行けて最高すぎました。
――かっこいい(笑)始めた頃と慣れてきた頃で気持ちの変化はありましたか?
最初にサーフィンを始めたときは、「レッスンに行かなきゃ」とか、「始めたからには毎日行かなきゃ」と、楽しいことをしているのに一生懸命やらなくちゃという義務感がありました。規則的な都会ぐらしが染み付いているのか、私のきまじめさか…(笑)。数ヶ月経ってから、「いやいや、私、何やってんだろう?ただ楽しめばいいのに」と。
だいたいサーフィンなんて、まさに自然頼みで、天気も波も思うようにいかないし、毎日行かなきゃと思ってもそもそも毎日はできないもの。思い通りにいかないのがまた面白い。いつまでも下手くそでしたし、身体も硬いし、股関節も痛いし、難しくて、敗北感もあったけど、それがまたとても楽しかったです。

――自分のことも、次第に肩の力が抜けていったわけですね。横浜に戻ってからは?
横浜に戻ってからはまだ機会がないんです。一人で1.5時間くらいかけて海に行き、サーフィンをして、帰ってくるというのが今のところ難しく。楽しかったなあ。またやりたいなあ。まあ、今後の楽しみに、と思っています。
――夫のきょうへいさんは横浜のご自宅に一人で残っていました。離れて暮らしたことで、夫婦として、あるいは親というチームとして変化はありましたか?
えーっと、私はそんなにないです(笑)
私は新しくできた友だちと遊んだり、島のイベントもあるし、楽しく愉快な毎日でした。ご飯も夫の分は作らなくていいし、洗濯物も少ないし気楽でしたね、本人がいないので言いますけど(笑)
毎日LINE通話しながら4人みんなで朝ごはんを食べたり、日々会話をしていたので、そんなに不便もすれ違いもなかったと思います。でも夫はとても寂しかったようです。特に「夜は家は暗いし、週末も一人だしつまらなすぎた」と言っていました。たまに悲壮な感じのLINEもあって、「金曜日。つまらない」とか、「まくらが涙で濡れています」とか(笑)
――(笑)
夫は虫ぎらいなんですが、横浜の自宅で手のひらくらいの大きな蜘蛛が出た時なんか、私に言われても種子島からじゃ何もしてあげられないのに、夜中に未読のLINEが数十件とか入ってて(笑)
つまんないし、寂しいし、心細いし、期間の途中までは、「うちの娘たちと妻は本当に帰ってくるんだろうか?留学期間を延長するんじゃないか」と不安に思ったこともあったらしいです。
――実際には1年で帰る予定は揺らがなかった?
娘たちがお父さん、大好きなんですよ。それで「お父さんがいないから1年で帰りたい」と何度も言っていたのでそこはブレなかったですね。やっぱり家族は、家族の形で住んでいるのがみんなにとっていいんだろうと思いました。夫も種子島に何度か遊びに来たりして、その時は家族ぐるみで飲んだり喋ったり、やっぱり家族みんなでいるのは楽しいですよね。


――南種子町の1年を終えて、お子さんに変化はありましたか?
学校の人数が少ないのと、担任が体育の先生だったこともあって、「できないまま終わる」ということがなく、跳び箱や水泳、鉄棒、一輪車もどれも「本人のレベルに合わせてできるまでやる」という感じだったので、できることがとても増えました。
校庭が広いので、登校してまず走り回り、お昼休みも45分と長くてずーっと校庭で遊んでいたので、身体能力が上がったみたいです。横浜の小学校に戻ってから初めてリレーの選手に選ばれました。3年生まではまったくそういうタイプじゃなかったのに、すごく足が速くなったみたいで、同級生に「○○がリレーの選手!?」と驚かれるほどでした。それが長女にはとても自信につながったようで良い変化だと思います。

――島を離れるとき、お子さんたちはどんな様子でしたか?
娘たちは、常に目の前のことが楽しい人たちなので、種子島に行く前はあんなに「種子島楽しみ!」と言っていたのに、種子島生活が終わりに近づき横浜に帰るときはもう「横浜に帰るの楽しみ!」と言っていて、子どもってすごいなと思いました(笑)。島から帰りたくなくてメソメソしていたのは私だけでした(笑)
でも横浜に戻ってからすぐのゴールデンウィークに、「二人だけで種子島に行ってみたい。」と言い出して、二人で飛行機に乗って種子島に遊びに行きました。種子島の友だちの家4軒に順番に泊めてもらって、それはそれは楽しい1週間を過ごしてきたようです。そう考えると逞しさも増したかなと思います。
――横浜に戻ってから1年半。「自然の中に放り込まなきゃ」と思っていた頃とは違うようですね。
島での経験を経て、勉強でも習い事でも本人たちが楽しそうにやっていればそれでいいか、なんでもいいかと思っています。子どもはどこにいても成長するし、どこでもなんでも大丈夫だと思うようになりました。本当は、下の子が4年生くらいでもう1回種子島に宇宙留学をしたらどうか、と私は真剣に考えていたのですが、子どもたちは今は横浜の暮らしを楽しんでいるようです。
そうなってくると親ががんばることは何もないというか、子どもの教育について、私自身「どうしても自然の中に」とかそういうことはもう何も気にならなくなりました。どんな経験をしても、その子なりの育ち方や感じ方があるので、自分が感じることをそれぞれ大事にしてくれればいいと思います。
――種子島とのつながりは続いていますか?
現地で仲良くなった友だちもたくさんいて第二の故郷のような場所になりました。また、私のように種子島から関東に戻ってきた人たちで付き合いの続いている人もいます。緩やかな、全国津々浦々、種子島つながりがたくさんできて嬉しいなぁと思っています。この8月にもウクレレサークル主催のイベントがあり、私もまた種子島に行ってきました。これからも毎年1回くらいは遊びに行きたいなぁと思っています。あわよくば、子どもが巣立った後などに今度は夫と二人で住んだりしたいくらいです。

――種子島ぐらしを振り返って今はどう捉えていますか?
島の空気が合っていたみたいで、ゆるーく、たのしーく、楽に過ごせて夢のように楽しい時間だったと思います。どこに行くにも娘たちと一緒に行動していたので3人で濃い時間を過ごせました。
――これから親子・家族留学を検討している人に伝えたいことはありますか?
ぜひぜひ、まずは行ってみたらいいと思います!強くおすすめします。ただ、地元の人が時間をかけて守り築いてきた豊かな地域に、こちらは「一時的」に住むわけなので、「住まわせてもらってる」「いさせてもらってる」というありがたさをしっかり認識して過ごすと良いのかなと思います。
種子島って鳥がいっぱいいるんです。毎朝、散歩をしていると、カエルがいたり、カニがいたりもするんですけど、とにかくおびただしい種類と数の鳥がいてピーピー、キュルキュル、ピーヒョロロ…もうあちこちで鳥たちがおしゃべりしてて。鳥の世界にお邪魔しているような、人間が住まわせてもらってありがとうございます、とも思ったりしていました。(終)